フードクリエイト サイガ 【割烹かめ清、遊食さい賀、ペペロンチーノ、ラ・グロッタ】

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秋田県秋田市大町4-1-16
1階 さい賀・2階 かめ清
TEL.018-862-2729
昼の営業 11:30〜14:00
夜の営業 17:00~22:00
定休日 毎週日曜日
(祝日の場合は翌日)
かめ清・さい賀ホームページへLinkIcon

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まことに勝手ではありますが、
当店は3月20日(月)をもって
閉店いたしました。
千秋軒ホームページへLinkIcon

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秋田県秋田市大町1-2-7
サンパティオ大町2F
TEL.018-888-3815
営業時間 11:30~22:30
平日のみ15:00~17:00までCLOSE
定休日 毎週月曜日
(祝日の場合は翌日)
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秋田県秋田市中通2-2-7
トラストワンビルB1F
TEL.018-887-4530
営業時間
火~木曜日 11:30~15:00
17:00~22:00(21:00LO)
金・土・祝前日 11:30~15:00
17:00~23:30(22:30LO)
日曜日と連休最終日
11:30~21:00(20:00LO)
定休日 毎週月曜日
(祝日の場合は翌日)
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かめ清の歩み

先人たち

時代に翻ろうされて秋田に..

kame_teppou001.jpg先祖から伝わる鉄砲<1Fさい賀の入り口>今から500年前に起こった「一向一揆」にたんを発し、10年もの長い年月宗教戦争が続いたのは周知の事実。その時代に生きた雑賀家の祖先は水軍であったという。「雑賀孫市」と言えば当時は船鉄砲の名手として名高かった。やがて天下が秀吉に移り、その意に従わない雑賀氏は国である紀伊を脱することを決意。そして交友のあった佐竹氏を頼りに、はるか遠くの東北の地、この秋田に移り住むこととなる。
もちろん身分を明かすことは制圧を意味することであり、生き延びる術として名を隠し、武士を捨てて商人として生きることを選択せざるを得なかったかめ清の先祖であった。

生業を変え川反の賑わいと伴に時を刻んできたかめ清

初代の雑賀清三郎は和歌山の人。料理屋の前は染物屋を営んでいた。外町側に母屋を構え、旭川に染めた反物を浸していた。
明治19年料理屋認可、川反最古参の老舗の基礎を築いた。現在で5代目を数える。当時は多角経営で「亀吉家」という芸者の置屋もやっていた。写真は残っていないのが残念たが、「花妓」という綺麗な妓がいたという。
4代目は一時洋食屋「レストラン千秋軒」をやっていたこともあった。5丁目角にあった「自由軒」とはにぎやかな競い合いがあったという。
繁盛した料理屋も戦争で営業停止。当時川反東側にあったかめ清は建物疎開の名目で壊された。
何の補償もなくすべてを失い一からのスタート。再建は一番遅れた模様。再建後は店を小規模にしたため、芸者の踊るスペースもなくなり、置屋もやめた。

kame_old001.jpg大正初期の4丁目橋からのかめ清(クリックで拡大)大正初期の4丁目橋からのかめ清。この川を境に「外町(とまち)」と「内町(うちまち)」と区分されていた。外町は商人の町、内町は役人の町として賑わっっていた。言葉も「外町ことば」と「内町ことば」で“おつめひらき”(あいさつ)や表現が違っていたという。現在、どちらのことばも流暢に聞かれることは少ない。


kame_old002.jpg大正3年頃のかめ清(クリックで拡大)大正3年頃のかめ清。写真の左側に8帖の和室を増築した。ここは今で言うVIPの部屋。
その時代のそうそうたるメンバーがここで宴を夜な夜な開いたという。
当時はまだ縁側から川辺にゆとりがあったことがうかがえる。
枝振り豊かな柳の木も、今は少し寂しげになっている。何本か残った柳の中で、一番太い柳は1階「さい賀」カウンターから眺めることができる。多分川反の栄枯盛衰を、どの柳よりも見届けてきたことであろう。

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